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松山地方裁判所 平成6年(ワ)404号 判決

原告

二光商事株式会社

被告

朝日火災海上保険株式会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金六〇〇万円及びこれに対する平成六年六月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、本件自動車保険の契約者である原告が保険者である被告を相手に、被保険自動車が崖から谷底へ転落して損壊したことを理由に、保険金六〇〇万円の支払を求めたのに対し、被告が、原告代表者杉野浩之が保険金を得る目的で、本件自動車を故意に崖から谷底に転落させたものであり、被告は免責約款により保険金の支払を免れると主張して、その支払義務を争つた事案である。

一  争いのない事実

1  原告は、平成五年七月一九日被告との間で、次のような内容の自家用自動車総合保険契約(以下「本件自動車保険契約」という。)を締結した。

(一) 被保険自動車(以下「本件自動車」という。)

・用途車種 自家用普通乗用車(業務用)

・登録番号 愛媛三三せ二二九六

・車名形式 ダイムラー E―DLD(外車「ジヤガー」の製品)

(二) 被保険者 賠償被保険者、車両所有者

(三) 保険期間 平成五年七月二〇日から平成六年七月二〇日まで

(四) 保険金額

・車両 六三五万円

・対人賠償 無制限

・自損事故 一名 一五〇〇万円

・無保険者傷害 一名 二億円

・対物倍賞 一事故 一〇〇〇万円

・搭乗者傷害 一名 一〇〇〇万円

2  原告代表者(清算人)杉野浩之は、平成五年一一月一一日午後六時過ぎないしは三〇分頃、愛媛県伊予郡砥部町川登の下千里バス停南約三〇〇メートルに所在する、国道三七九号線南東側の側帯線外側の膨らみ部分の平地(未舗装の草地、以下「本件道路空地」という。)に、本件自動車を停車させた。本件自動車はその直後頃、右停車地から崖に向かつて動き出し、約一〇メートル下の谷底に落下した(別紙第一・第二図面参照)。

3  本件自動車保険契約普通保険約款、第5章(車両条項)第2条(1)(イ)は、法人の代表者が保険金を取得する目的で、故意に被保険自動車に損害を生ぜしめた場合は、被告は保険金の支払を免責される旨記載している。

二  原告の主張

1  杉野浩之は、本件自動車を本件道路空地に停車して、助手席の森永妹美をいきなり抱擁したが、このとき停車していた本件自動車が崖に向かつて動き出し、本件自動車とともに谷底に転落した。

2  本件自動車は、前記転落事故(以下「本件事故」又は「本件転落事故」という。)、及び谷底からの引き上げ中の事故により大破し、その修繕費は七〇〇万円を越えるものとなつた。他方、本件事故当時の本件自動車の時価は、七〇〇万円であつた。

3  よつて、原告は被告に対し、本件自動車保険契約に基づき、本件自動車全損による保険金六〇〇万円、及びこれに対する平成六年六月一一日(訴状送達の日の翌日)から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告の主張

杉野浩之は、本件自動車の保険金を得る目的で、本件自動車を故意に崖から谷底に転落させたものであり、被告は保険金の支払を免責される。

四  争点

杉野浩之が本件自動車の保険金を得る目的で、本件自動車を故意に崖から谷底に転落させたものであるか否か。

第三争点に対する判断

一  本件事故内容の検討

1  本件自動車の停止位置、転落状況について

(一) 原告は、(1) 杉野浩之が、本件自動車の助手席に愛人の森永妹美を同乗させて、国道三七九号線上を広田村方面から砥部町方面に向かつてドライブ中、本件自動車を本件道路空地に停止させることになつた、(2) 杉野浩之は、本件自動車を別紙第一図面の斜線部分に停止させ、助手席にいた愛人の森永妹美をいきなり抱擁したが、そのときその衝撃で、本件自動車が崖に向かつて動き出し、崖から谷底へ転落していつた (3) 本件自動車は、別紙第三図面記載の〈イ〉・〈ロ〉・〈ハ〉・〈ニ〉と緩やかに方向を変えつつ、かつ別紙第一図面記載のとおり谷底に向かつてほぼ直角に、転落していつたと主張している。

(二) しかし、証拠(乙一三、一六、二〇、証人中原輝史)によると、(1) 本件自動車の事故直前の停止位置は別紙第一図面の赤着色部分であり、本件自動車の左後部が六、七〇センチメートル位、国道舗装部分にはみ出していたこと、(2) 本件自動車はAT車であり、本件自動車が、AT車のクリープ現象などにより、停止位置から下り勾配になつていた崖に向かつて低速度で動き出したこと、(3) 本件自動車は後輪駆動車であるから、前輪が崖端から低速度で脱輪した後、後輪の前進により押し出され、別紙第一図面記載のとおり、崖端の線に対して直角ないし五度から一〇度位左向きの方向で、崖から谷底に向かつて転落していつたこと、以上の事実が認められる。このことは、以下説示の各諸点(前掲各証拠から認定できる。)からも裏付けられる。

(1) 本件自動車の底面には、本件事故のために、別紙第四図面記載の「イ」ないし「ヘ」の各箇所に、転落時に崖との擦過・衝突で生じた擦過痕、衝突痕ができている。そのうち、「イ」と「ハ」の衝突痕は、本件自動車の前輪が脱輪して、最初に車体(別紙第五図面の「イ」の部分)が崖端岩角部(乙一三の写真No.7・8参照)に衝突してできたものであるが、いずれの衝突痕も、前輪車軸から四七センチメートル後方の位置(第五図面の「イ」の位置)にある。前記左右の衝突痕が前輪車軸から同じ距離にあるということは、本件自動車が崖に対しほぼ直角に近い状態で進行し、左右の前輪をほぼ同時に脱輪して転落していつたことを示している。

(2) 本件自動車のマフラー底面(別紙第四図面の「ニ」の箇所)、車体後部のトランク底面(別紙第四図面の「ホ」の箇所)にも、車体が崖端岩角部(乙一三の写真No.7・8参照)を擦つた際の擦過痕が付いている。右擦過痕はせいぜい五度から一〇度位左方向に傾いて付いており、本件自動車は、崖端に対して直角ないし五度から一〇度位左方向に傾いて、底面を崖端に擦りながら転落していつたため、このような擦過痕が付いたものと思われる。

(3) 原告は、本件自動車が別紙第三図面記載の〈イ〉・〈ロ〉・〈ハ〉・〈ニ〉と緩やかに方向を変えつつ、かつ別紙第一図面記載のとおり谷底に向かつてほぼ直角に、転落していつたと主張する。

しかし、本件自動車の重心点は別紙第五図面に「重心」と記載された位置にあるので、原告主張のような転落状況であるとすると、本件自動車の右前輪が脱輪して、車体底面がイ点(前端から約一・三五メートル)で着地し、重心点(前端から約二・一八メートル)が崖から離れるまで引き続き斜め進行した後、右斜め方向に車体が傾きながら、車体が斜め横に向いた状態で滑り落ちることとなり(乙一六、証人中原輝史の証言による。)、原告主張のような直角状態に変位するなどということは、考えられないことである。

(三) 原告が虚偽の主張をする理由について

広田村から砥部町に向かつて国道三七九号線を走行中、本件道路空地に進入して自動車を停止させる場合の最も自然な態様は、本件自動車を別紙第一図面の斜線部分に停止させることであり、同図面の赤着色部分に本件自動車を停止させることは、極めて不自然な態様である。しかし、本件自動車を別紙第一図面の斜線部分に停止させたのでは、本件自動車が谷底に向かつてほぼ直角に崖を転落していくことはない。本件自動車の事故直後の損傷写真(乙一三の写真No.9ないし12)によると、本件自動車の前部が衝突によりほぼ均等に坐屈後退歪曲しており、本件自動車が谷底に向かつてほぼ直角に崖を転落していつたことが明らかである以上、本件自動車の停止位置は、別紙第一図面の赤着色部分であつたとしか考えられない。

そうだとすると、原告は何故本件自動車の事故直前の停止位置について、虚偽の主張をしたのであろうか。杉野浩之は、本件自動車を崖から転落させやすい位置、すなわち別紙第一図面の赤着色部分に停止させ、AT車のクリープ現象を利用するなどして、本件自動車を崖から故意に谷底に転落させたのであるが、本件自動車を別紙第一図面の赤着色部分に停止させたなどといえば、その停止位置があまりにも不自然であるため(自動車の後部が六、七〇センチメートルも国道上にはみでている。)、その事実を隠すため、本件自動車の停止位置について、虚偽の説明をせざるを得なくなつたのではなかろうか。

(四) 以上の次第で、本件自動車の停止位置、転落状況からして、杉野浩之が、本件自動車(AT車)のクリープ現象などを利用することにより、車外にいて、本件自動車を崖から谷底に転落させたものと認めることに、合理性があることが認められる。

2  本件自動車から車外への脱出について

杉野浩之・森永妹美両名は、(一)崖から谷底に転落後、杉野浩之が運転席にいて、森永妹美が助手席にいたが、本件自動車の左右の前ドアが開かなかつたこと、(二)そこで、杉野浩之は、運天席側から片足で体を支えて、もう片方の足で助手席側の窓ガラスを蹴破つて破壊したこと、(三)そして、森永妹美、杉野浩之の順に窓から車外に脱出したこと、以上のとおり供述している。

しかし、証拠(乙一三、証人中原輝史)によると、自動車の窓ガラスには強化ガラスが使われており、強化ガラスは、成人男子がズック靴を履いて思い切り前蹴りしても、滅多に割れない程の強度があることが認められる(乙一三の文献No.2参照)。しかも、杉野浩之らの前記供述によると、杉野浩之は非常に不安定な姿勢で助手席側の窓ガラスを蹴破つたというのであり、そのような不安定な姿勢では、本件自動車の窓ガラスを割ることは不可能である。

以上の次第で、杉野浩之が助手席側の窓ガラスを蹴破ることは不可能であるのに、杉野浩之・森永妹美両名が口を揃えて前述のような虚偽の供述をしたのは、右両名は、本件事故当時本件自動車に乗車していなかつたのに、乗車していたと虚偽の供述をしたために、蹴破ることが不可能な助手席の窓ガラスを、蹴破つたと供述してしまつたものと推測される。

3  谷底から道路空地上への脱出について

杉野浩之・森永妹美両名は、(一)本件自動車づたいに車の最後部の所まで上がり、そこから本件道路空地まで斜面(崖)を登つていつた、(二)本件自動車の最後部に立つと、もうすぐそこに本件道路空地があり、手を伸ばせば届く位であつたので、簡単に本件道路空地まで登れた(森永妹美)、(三)本件自動車の後部ナンバープレートあたりに立つと、本件道路空地まで一メートルから一・五メートル位しかなかつたので、四歩か五歩で本件道路空地まで登れた(杉野浩之)、と供述する。

しかし、別紙第二図面(甲六の2)からも明らかな如く、本件事故現場である崖の斜面は、上の道路空地から下の谷底までの垂直距離が八・五三メートル、傾斜が五一度から五三度もあり、斜面の長さは一〇メートルをはるかに越える。そして、本件自動車の全長は四・九九メートルであるから(別紙第五図面〔乙一三の鑑定資料二〕)、杉野浩之や森永妹美が本件自動車の最後部に立つた場合、右両名の身長を考慮に入れても、本件道路空地は更に約四メートル位も上にある。しかるに、「本件自動車の最後部に立つと、もうすぐそこに本件道路空地があり、手を伸ばせば届く位であつた。」(森永妹美)とか、「本件自動車の後部ナンバープレートあたりに立つと、本件道路空地まで一メートルから一・五メートル位しかなかつた。」(杉野浩之)などと、虚偽の供述をしている。

しかも、本件事故が発生したのは平成五年一一月一一日午後六時過ぎないしは三〇分頃であるところ、当日の日没は午後五時八分であり(乙一二)、事故当時は小雨が降つていたのであるから(杉野浩之の供述〔第一回〕)、事故現場は薄暗いというよりは真つ暗といつた状況であつた。しかるに、杉野浩之や森永妹美は、今まで登つたこともない真つ暗で急な斜面を、しかも、雨で濡れて滑りやすい急斜面を、果たして、五メートル以上もはい上がつていけたのであろうか。大いに疑問である。

確かに、当裁判所での検証では、杉野浩之・森永妹美両名が、本件事故現場の谷底から道路空地まで、石積み等に足をかけて崖を登つていくことに成功している。しかし、検証が実施されたのは晴天の日の昼間であつた上、検証で右両名が谷底から道路空地まで登れるか実演することが、検証前の打ち合わせで予め決まつていたため、右両名は事前に予行練習をしておくことが可能であつた。したがつて、検証当日と本件事故当日とでは、条件が全く異なつていた点に留意しなければならない。

以上の諸点に照らせば、杉野浩之・森永妹美両名が、本件事故当時本件自動車に乗車しており、本件事故後車外に脱出して、谷底から本件道路空地上へはい上がつたなどということは、大いに疑問があり、むしろ、杉野浩之や森永妹美は、本件事故当時本件自動車に乗車しておらず、したがつて、谷底から本件道路空地まではい上がつた事実などないものと推測する方が、通常人の健全な経験則に合致する。

二  杉野浩之及びその関係者の供述の変遷、作為性について

1  杉野浩之の供述について

(一) 森永妹美の同乗について

杉野浩之は、当初の保険金請求書の中で、「本件道路空地に本件自動車を駐車し、小便して発進する際右前輪が落ち、約一〇メートル下まで落ちた。」と述べ(乙六)、平成五年一二月一日被告依頼の調査員山口信征(以下「山口調査員」という。)に対しても、「本件道路空地に本件自動車を駐車して小便を終え、左転把して国道に出ようと発進したところ、突然ガーとなつて崖の下に落ちた。」「本件事故当時は自分一人が本件自動車に乗車していた。」と供述していた(乙一七、証人山口信征)。

ところが、杉野浩之は、被告から平成六年二月一六日付け内容証明で、杉野浩之が故意に本件事故を起こした疑いがあるので、保険金の支払はできない旨を通知されるや(乙七の1・2)、突然、「本件事故当時、森永妹美も本件自動車に同乗していた。」旨を告げるに至り(「甲一〇、乙一八)、更に、本訴での本人尋問〔第一回〕では、「本件道路空地に本件自動車を停車して、運転席から助手席の森永妹美をいきなり抱擁したが、このとき停車していた本件自動車が崖に向かつて動き出し、本件自動車とともに谷底に転落した。」「当初、本件自動車内に森永妹美がいたことを隠していたのは、森永妹美との関係を妻に知られるのを恐れて、虚偽の報告をしたからである。」「妻の父が元被告に勤めていたことがあり、森永妹美との関係を義父の元の同僚に知られると困るので、本件事故当時森永妹美と一緒にいたことは、被告には報告できなかつた。」と供述して、前言を覆した。

しかし、杉野浩之の義父川本芳男は、本件事故よりも約六年の前の昭和六二年九月一九日に被告を退職しており、退職当時の被告での勤務地は、四国の松山とは遠く離れた千葉県の成田営業所であつたので(乙一四、証人楓正幸)、杉野浩之が被告松山営業所の担当者に対し、本件事故当時本件自動車に森永妹美が同乗していたことを告げても、森永妹美との関係を妻に知られることなど考えられない。そもそも、杉野浩之は、森永妹美所有の外車「アウデイ」の自動車保険についても、杉野浩之名義で、被告との間で自動車保険契約を締結していたのであり(乙八、原告代表者本人〔第一回〕)、森永妹美との関係を被告社員→妻の父→妻の経路で知られたくないのであれば、杉野浩之が被告との間で、森永妹美所有車について自動車保険契約など締結する筈がないであろう。

杉野浩之の前記供述、「当初、本件自動車内に森永妹美がいたことを隠していたのは、森永妹美との関係を妻に知られるのを恐れて、虚偽の報告をしたからである。」「妻の父が元被告に勤めていたことがあり、森永妹美との関係を義父の元の同僚に知られると困るので、本件事故当時森永妹美と一緒にいたことは、被告には報告できなかつた。」は、嘘であると思われる。

それでは、何故杉野浩之は、前言を覆してまで、「本件事故当時、森永妹美と一緒に本件自動車に同乗していた。」などと、嘘の供述を始めたのであろうか。杉野浩之が森永妹美の名前を出したのは、被告から保険金支払不能通知を受取つた後であり、杉野浩之は、被告の担当者吉川厳に対し、「隠している事実(森永妹美の存在)を出せば、被告も保険金を支払わざるを得ない。」という趣旨の発言をしており(乙一八)、杉野浩之は、第三者(森永妹美)の名前を出せば、訴訟に至るまでもなく保険金が支払われる、と考えたからと思われる。

(二) シートベルトの着用について

杉野浩之は平成五年一二月一日、山口調査員からの「本件事故当時、シートベルトを着けていたのか。」との質問に対し、「いつもならばシートベルトはあまりしていないのだが、平成五年九月の運転免許更新の際講習を受け、シートベルトの大切さを映画を通して見たので、それ以降はシートベルトを着けるようにしていた。」「本件事故当時も山の中であり、何かあつたときは困ると思い、シートベルトを着けていたので、大した怪我にはならなかつた。」と答え、山口調査員からの「あれだけの高さから、車両前部を下にして真つ逆さまに転落すれば、シートベルトをしていてもかなりのシヨツクがあつたと思うが、シートベルトの痕跡が体に残つたのでは?」との質問に対し、「左肩鎖骨部の痛みでその部分が赤くなつていたのと、胸が痛かつたのは、シートベルトの圧迫によるものではないか、と思つている。」と答えていた(乙一七、証人山口信征)。

ところが、杉野浩之は、本訴での本人尋問〔第一回〕では、本件事故当時シートベルトを着けていなかつたことを前提に、「運転席から助手席にいた森永妹美に覆い被さるようにしてキスをした。」「森永妹美に覆い被さつた際、背中が助手席側のダツシユボードに殆ど触れる状態であつた。」「本件自動車が落ちていく間、森永妹美を抱きかかえて半身になつていた。」と供述し、森永妹美も、本訴での証人尋問において、「杉野浩之からキスされたとき、私も杉野浩之もシートベルトをしていなかつた。」と証言している。

本件転落事故による身体への受傷の有無程度については、本件事故当時シートベルトをしていたか否かにより大きな差異があり、杉野浩之にとつても、本件事故当時シートベルトを着用していたか否かは、明確な記憶があつた事項と思われる。それにも拘らず、杉野浩之は、本件事故直後の山口調査員に対する質問に対しては、「シートベルトを着用していた。」と供述し、本訴での本人尋問〔第一回〕では、シートベルトを着用していなかつたことを前提とする供述をしていて、右各供述が矛盾している。杉野浩之は、本件事故当時本件自動車に乗車していなかつたので、このように相矛盾した供述をしているのではなかろうか。

2  正岡直史の供述について

杉野浩之は平成五年一二月一日山口調査員に対し、「友人の正岡直史に会うため、本件事故当日正岡直史が住む愛媛県伊予郡中山町にまで出向き、中山町内の喫茶店で正岡直史から個人的な悩みについての相談を受け、その帰路に本件事故に遭遇した。」と供述した。そして、正岡直史も同月六日山口調査員に対し、「本件事故当日、愛媛県伊予郡中山町の喫茶店で友人の杉野浩之と会い、私の個人的な悩みについて相談にのつてもらつた。」「それから一週間位後に、別の用事で松山市に行つた際、杉野浩之と会つて車の転落事故の話を聞いた。」「私が杉野浩之に『怪我はなかつたか。』と聞くと、杉野浩之は、『怪我はなかつたが、車が壊れてしまつた。』と話していた。」と供述していた。

ところが、杉野浩之は、本訴での本人尋問〔第一回〕においては、「本件事故当日は正岡直史には会つておらず、森永妹美とドライブに出かけたのである。」「正岡直史に頼んで、口裏を合わせてもらつた。正岡直史は、山口調査員からの電話による問い合わせに対しては、杉野浩之と会つたと口裏を合わせてくれた。」と供述するに至つた。

このように、杉野浩之は、本件事故直前には正岡直史に会つてもいないのに、本件事故直後正岡直史に対し、保険会社(山口調査員)からの問い合わせに対しては、杉野浩之と会つたと口裏を合わせるように頼んでいるのであり、杉野浩之がこのような偽装工作までしているのは、本件事故の態様についての杉野浩之の主張が、真実とは認められない有力な間接事実となる。

3  緒方啓二の供述について

緒方啓二は、平成五年一二月一日山口調査員に対し、「平成五年一一月一一日午後七時半前後頃、杉野浩之がずぶぬれ、泥だらけになつて訪れた。」「杉野浩之は、『車で崖下に落ちた。』と言つて、事故の場所を説明していた。」「その後、私は車で杉野浩之を家まで送り、車で杉野浩之が落ちたという事故現場まで行き、カーブ地点で道路空地があるような所で下を覗くと、雨の中でルームランプがついた車がボヤーと見えたので、『ここに落ちたのだなー。』と思つたが、何も出来ず現場確認のみで帰つた。」と供述していた。

ところが、緒方啓二は、本訴での証人尋問では、「平成五年一一月一一日午後六時半から七時までの間に、杉野浩之・森永妹美両名が雨でしつとりと濡れてやつてきた。」「杉野浩之は、『車ごと崖下に落ちた。』と言つて、事故の場所を説明していた。」「その後、私は、杉野浩之と森永妹美両名を、私の車で森永妹美のマンシヨンまで送つて行つた。」「私は、本件事故当日、本件事故現場へ行つていない。以前、保険会社の調査員(山口調査員)に対し、『本件事故当日本件事故現場を見に行つた。』と答えたが、それは、杉野浩之と森永妹美との関係を知つていたこともあり、保険会社(山口調査員)には嘘を言つたのである。」と証言している。

しかし、緒方啓二が、杉野浩之と森永妹美との関係を知つていたとしても、何故、山口調査員に対し、「本件事故当日本件事故現場を見に行つた。」と嘘を言わなければならないのか、その理由が全く分からない。緒方啓二が山口調査員に対し、本件事故当時車内に森永妹美もいたことを話しても、杉野浩之と森永妹美との関係が杉野浩之の妻に発覚する訳でもないし、そもそも、緒方啓二が何故嘘をついてまで、杉野浩之と森永妹美との関係を隠さなければならない、義理立てしなければならない立場にあつたのか、全く理解できないからである。

ただ、言えることは、緒方啓二が事前に杉野浩之から頼まれて、杉野浩之とよく打ち合わせの上、真偽を織り交ぜて山口調査員に供述し、本訴での証人尋問でも証言していることだけは確かである。そして、何故、杉野浩之や緒方啓二らがそのような行動をとるかであるが、やはり本件転落事故の内容が、原告が本訴で主張している内容(すなわち、本件事故当時、杉野浩之・森永妹美両名が本件自動車に乗車していたこと。)と異なるからではなかろうか。

なお、本件自動車は、本件事故当時、所有者が緒方啓二として登録されていた(乙一一)。本件自動車の真の所有者が原告・杉野浩之・緒方啓二のいずれであるのか、その真相は不明であるが、本件自動車が事故当時緒方啓二名義で登録されていたということは、少なくとも、杉野浩之と緒方啓二との間の親密な人間関係が裏付けられるのであり、緒方啓二の本訴での証言内容についても、にわかに信用できないことの裏付けとなる。

三  杉野浩之、森永妹美の怪我の状況、医師の診察について

本件事故現場の崖は、垂直距離が八・五三メートル、長さが一〇メートル以上あり、その角度が五一度から五三度もある切り立つた崖(絶壁)であつて、そこを本件自動車が真つ逆さまに落下していつたのである(別紙第二図面、甲三・四、六の7ないし10、乙一の1・2、二の1ないし3各参照)。しかも、本件自動車の前部がほぼ垂直の角度で谷底に突き刺さり、その前部が地面との衝突による衝撃により大破しているのであるから(乙一の3、一三の写真No.9ないし12)、地面との衝突時点での衝撃は相当大きかつたものと推測される。

もし、本件事故当時、杉野浩之や森永妹美が本件自動車に乗車していたとすると、右両名はシートベルトを着けていなかつたというのであるから、本件自動車が谷底に衝突した時点での衝撃の程度はすさまじかつたものと思われ、右両名ともにかなりの怪我を負つていた筈である。しかるに、証拠(乙四、証人森永妹美、原告代表者本人〔第一回〕)によると、杉野浩之は、本件事故当日は医者に行つておらず、事故の翌日に清家整形外科で一度診察を受けたに過ぎないし、森永妹美に至つては、一度も医師の診察を受けていないのである。

そして、杉野浩之は、左肩や胸・腰の痛みを訴えて、本件事故の翌日清家整形外科で診察を受けているが、同整形外科のカルテには、打撲の部位や外傷等について全く記載されていない(乙四、一七)。杉野浩之は、本件事故当時本件自動車に乗車しておらず、何らの怪我もしていなかつたが、被告に対し本件事故による保険金を請求する際、被告担当者から怪我の状況を尋ねられることも予想して、後日の証拠のために、清家整形外科で診察を受けたことも十分にあり得ることである。杉野浩之が本件事故の翌日、清家整形外科で診察を受けているからといつて、杉野浩之が本件事故により受傷した事実が認められる訳ではない。

むしろ、杉野浩之が本件事故当時本件自動車に乗車していたのだとすると、かなりの怪我をしていた筈であるのに、杉野浩之は一度しか医師の診察を受けておらず、しかも、そのカルテには、杉野浩之の主観的な訴えしか記載されておらず、客観的な外傷等の記載や他覚的検査所見の記載が全くないことに照らせば、杉野浩之は、本件事故当時本件自動車に乗車しておらず、何らの怪我もしていなかつたのに、被告から本件事故により保険金を受領するための証拠作りの一環として、一度だけ清家整形外科医院を受診したと推測する方が、よつぽど合理的である。

ところで、杉野浩之は、本件事故後一度だけ医師の診察を受けているのに、森永妹美は、本件事故後一度も医師の診察を受けていないことについては、どのように理解すればよいのであろうか。本件事故当時、杉野浩之・森永妹美両名が本件自動車に乗車していたのだとすると、森永妹美もかなりの怪我をしていた筈である。杉野浩之は、当初の保険金請求に際しては、自分一人が本件自動車に乗車していたと主張していたため、証拠作りの一環としての医師の診察は、杉野浩之だけが行つたのであるが、予想に反して被告担当者から怪しまれ保険金受領が難航したため、急遽作戦を変更して、実は本件自動車には森永妹美も乗車していたと主張するようになつたので、森永妹美については、本件事故後医師の診察を受けることができなかつた、というのが真相ではなかろうか。

四  保険金詐取目的の故意について

1  利得性、必要性について

(一) 原告の主張

原告は、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させても、何らの利得もなかつたし、その必要もなかつたと主張する。すなわち、

(1) 原告(杉野浩之)は、平成三年七月一六日に本件自動車を九〇〇万円で購入したが、本件事故(平成五年一一月一一日)当時も本件自動車は七〇〇万円の価値があつた(甲七)。他方、本件自動車保険契約の保険金額は、車両保険の保険金額が六三五万円、費用一〇万円を入れると六四五万円であつた。

(2) したがつて、原告(杉野浩之)は、本件事故により保険金及び費用合計六四五万円を受領しても、本件事故により五五万円の損害を被ることになる。しかも、本件自動車は事故当時七〇〇万円の価値があつたので、原告(杉野浩之)は、本件自動車を売却することにより、容易に七〇〇万円前後の金を手に入れることができた。

(3) 原告は本件事故後ポルシエ一台を七三〇万円で購入しており(甲八・九)、これらの事実によつても、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させたものではないことが明らかである。

(二) 考察

しかし、原告の前記主張はいずれも理由がなく、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させたものではないかと推認したからといつて、何ら不自然・不合理ではない。すなわち、

(1) 原告は、本件自動車が事故当時七〇〇万円もの価値があつた根拠として、ジヤガージヤパン株式会社中古車部(アプルーブドカーセンター)作成の証明書(甲七)を援用している。

しかし、証拠(原告代表者本人〔第三回〕、ジヤガージヤパンからの調査嘱託に対する回答書)によると、右証明書は、ジヤガージヤパン中古車部の営業担当社員の仲田克彦が、杉野浩之から、「あなたに迷惑をかけない。大したことではないので、社印を押してくれ。」と頼まれたので、仲田克彦が軽い気持ちで、ジヤガージヤパンの上司には無断で、普段使つていたジヤガージヤパンの判を押してやつたものであり、ジヤガージヤパンが本件自動車の事故当時の時価が七〇〇万円あることを、正式に証明したものではない。

むしろ、証拠(乙一一、一五、原告代表者本人〔第二回、一部〕)によると、本件自動車の初年度登録が平成二年一一月であり、本件自動車が平成二年式か平成三年式か不明であるが、原告に有利に本件自動車が平成三年式としても、本件自動車の本件事故当時の評価額は、三八〇万円程度であつたことが認められる。

したがつて、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させることについて、利得性(本件自動車の時価は三八〇万円であるのに、保険金額は六三五万円である。)が存在することが認められる。

(2) 原告は、本件事故(平成五年一一月一一日)後、ポルシエ一台を七三〇万円で購入していることを強調するが、右事実が認められたとしても(甲第八号証の領収証の日付が平成七年一月一八日で、甲第九号証の証明書の売渡日平成七年一月二三日と齟齬しており、右購入の事実も疑わしいものではあるが。)、その購入年月は平成七年一月であり(甲八・九)、原告が本訴を提起した平成六年六月六日よりも後である。

しかも、杉野浩之は、本件事故当時金に困つていなかつたとしても、本件自動車が嫌になつたので、故意に本件事故を起こし、その保険金でもつて、新たな車の購入を計画していたと考えることもできる。

したがつて、原告が本件事故後ポルシエ一台を七三〇万円で購入していたとしても、そのことから、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させたと認定することの妨げとはならない。

2  保険金請求の態様について

原告は、本件自動車保険の内容は、前記第二の一の1の(四)記載のとおりであり、全ての損害が網羅されているので、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させたものであれば、杉野浩之・森永妹美の損害(人損)をより誇大主張して、それに対応する保険金も請求していた筈であると主張する。

しかし、杉野浩之が保険金詐取目的で、故意に本件自動車を谷底に転落させ、杉野浩之・森永妹美の人損も請求するためには、杉野浩之や森永妹美の傷害の事実について、医師の診断書等によりある程度客観的に立証する必要があるところ、右両名が本件事故により負傷していなければ、その立証が著しく困難である。

そこで、杉野浩之は、保険金詐取目的で故意に本件自動車を谷底に転落させた後、立証が比較的容易な本件自動車破損の損害(物損)のみを請求したとしても、何ら不自然・不合理なことではない。

第四結論

一  以上の認定判断を総合すると、本件事故の態様は、原告主張の内容(杉野浩之が本件自動車を本件道路空地に停車し、助手席の森永妹美をいきなり抱擁したが、このとき停車していた本件自動車が崖に向かつて動き出し、本件自動車とともに谷底に転落したこと。)ではなく、むしろ、被告主張の内容(杉野浩之が、本件自動車の保険金を得る目的で、本件自動車を故意に崖から谷底に転落させたものであること。)ではないかと推認せざるを得ない。

二  そして、原告は右推認を覆すに足りる主張・立証に成功していないのであるから、本件保険金請求については、本件自動車保険契約普通保険約款、第五章(車両条項)第二条(1)(イ)の規定により、被告は保険金支払義務を免責されると認めざるを得ない。よつて、原告の本訴請求は理由がないので棄却する。

(裁判官 紙浦健二)

第一図面

第二図面

第三図面

第四図面

第五図面 鑑定資料二 ダイムラー・E-DLD型 外観図

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